【10〜4位】存命のG1馬を調べてみた

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競馬

・2025年12月現在

・JRAの平地G1に限る

・外国馬は除外

・消息不明は除外

・同年生まれは誕生日で順位を設定

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10位 ファインモーション

1999年1月27日生 26歳

02 秋華賞

02 エリザベス女王杯

デインヒル産駒の外国産馬。

繁殖牝馬として輸入されたが、無敗で秋華賞、エリザベス女王杯を制した。

続く有馬記念では5着に敗れたものの、3歳牝馬ながら1番人気に支持されており、怪物的な評価をされていた。

その後は重賞を2勝したもののG1では勝てず。

繁殖入りしたが染色体異常で受胎できず、子孫を残せないまま功労馬として余生を送っている。

9位 ビリーヴ

1998年4月26日生 27歳

02 スプリンターズステークス

03 高松宮記念

サンデーサイレンス産駒。

4歳時に破竹の4連勝でスプリンターズステークスを制覇。

翌年の高松宮記念も制し、スプリント女王の名を馳せた。

この高松宮記念は、逃げた前年の覇者ショウナンカンプを叩き潰す強い内容であった。

引退後はアメリカで繁殖入り。初年度から安田記念3着のファリダットが出た。

7番仔のジャンダルムが2022年のスプリンターズステークスを制し、母子制覇を果たした。

8位 テイエムオーシャン

1998年4月9日生 27歳

00 阪神3歳牝馬ステークス

01 桜花賞

01 秋華賞

ダンシングブレーブ産駒。祖母が桜花賞馬エルプス。

デビュー当初から天才少女として活躍し、G1を3勝した。

オークスの3着が悔やまれるが、改めて戦績を見返すと2000mまでの馬で、距離が長かったようだ。

デビューから引退まで本田優騎手とコンビを組んだ。

同時期にテイエムオペラオーが活躍しており、テイエム黄金時代の名馬であった。

引退後はそのテイエムオペラオーの産駒を3頭生み10冠ベイビーと話題になったが、他の父の産駒を含めてこれといった活躍馬は出ていない。

7位 タップダンスシチー

1997年3月16日生まれ 28歳

03 ジャパンカップ

04 宝塚記念

プレザントタップ産駒の外国産馬。

晩成型で、オープン入りは5歳になってから。

本格化後は安定感のある逃げ馬として長く活躍した。

6歳のジャパンカップで雨の中逃げ切りG1初勝利。9馬身差というJRAのG1史上最大着差記録を樹立しての勝利であった。

翌年の宝塚記念を制し、凱旋門賞にも参戦するなど、名実ともに日本を代表する名馬となった。

8歳で金鯱賞を制し、同一重賞3年連続勝利と言う偉業を成し遂げた。

獲得賞金10億円越えの一流馬であったが種牡馬としては失敗で、6年で種牡馬引退となった。

タップダンスシチーを最後にリボー系からJRAの重賞勝ち馬は出ていない。

6位 ティコティコタック

1997年3月11日生 28歳

00 秋華賞

サッカーボーイ産駒。

デビューは3歳の3月と遅かったが、そこから10月の秋華賞までの7か月間で12戦を消化した根性娘。

その秋華賞を10番人気で制し、波乱の立役者となった。

その後は勝利に見放されたが、エリザベス女王杯で僅差の3着に食い込むなど、牝馬限定戦を中心に活躍した。

引退後は繁殖入り。子孫から中央競馬で活躍した産駒はまだ出ていない。

5位 トウカイポイント

1996年5月18日生 29歳

02 マイルチャンピオンシップ

トウカイテイオー産駒。

盛岡競馬でデビュー後にJRAへ移籍。

当初は長い距離を使っていたが折り合いに難があり、5歳の春に去勢された。

その後秋になって距離を短くしてから本格化。

6歳時の中山記念で重賞初制覇。秋のマイルチャンピオンシップに勝利し、トウカイテイオー産駒初のG1馬となった。

その後は程なくしてケガで引退。騙馬なので種牡馬入りはできなかった。

現在の様子はTwitterで確認することができる。

Tweets by Toukaipoint1996

4位 プリモディーネ

1996年4月5日生 29歳

99 桜花賞

アフリート産駒。

99年の桜花賞を制覇。鞍上の福永祐一にとって初のG1勝利であった。

距離不安のオークスで3着の後は蹄の病気により長い休養に入る。

1年半後のエリザベス女王杯で復帰したが本来の姿からは程遠く、復活できないまま翌年引退した。

その後アメリカで繁殖入りしたが、子孫からこれといった活躍馬は出ていない。

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