【10〜4位】存命のG1馬を調べてみた

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競馬

・2024年8月現在

・JRAの平地G1に限る

・外国馬は除外

・消息不明は除外

・同年生まれは誕生日で順位を設定

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10位 ゼンノエルシド

1997年3月26日生 27歳

01 マイルチャンピオンシップ

カーリアン産駒の外国産馬。

デビュー時から常に人気を背負っていたが、体質的な弱さもあり本格化は古馬になってから。

4歳時の京王杯オータムハンデを当時の日本レコードで優勝。

その後マイルチャンピオンシップ制しG1ウイナーとなったが、その後は不振であった。

種牡馬としては成功とは言い難いが、G3富士ステークスを制したマイネルシーガルや、G1朝日杯フューチュリティステークスで2着のマイネルロブストを出した。

9位 タップダンスシチー

1997年3月16日生まれ 27歳

03 ジャパンカップ

04 宝塚記念

プレザントタップ産駒の外国産馬。

晩成型で、オープン入りは5歳になってから。

本格化後は安定感のある逃げ馬として長く活躍した。

6歳のジャパンカップで雨の中逃げ切りG1初勝利。9馬身差というJRAのG1史上最大着差記録を樹立しての勝利であった。

翌年の宝塚記念を制し、凱旋門賞にも参戦するなど、名実ともに日本を代表する名馬となった。

8歳で金鯱賞を制し、同一重賞3年連続勝利と言う偉業を成し遂げた。

獲得賞金10億円越えの一流馬であったが種牡馬としては失敗で、6年で種牡馬引退となった。

タップダンスシチーを最後にリボー系からJRAの重賞勝ち馬は出ていない。

8位 ティコティコタック

1997年3月11日生 27歳

00 秋華賞

サッカーボーイ産駒。

デビューは3歳の3月と遅かったが、そこから10月の秋華賞までの7か月間で12戦を消化した根性娘。

その秋華賞を10番人気で制し、波乱の立役者となった。

その後は勝利に見放されたが、エリザベス女王杯で僅差の3着に食い込むなど、牝馬限定戦を中心に活躍した。

引退後は繁殖入り。子孫から中央競馬で活躍した産駒はまだ出ていない。

7位 トウカイポイント

1996年5月18日生 28歳

02 マイルチャンピオンシップ

トウカイテイオー産駒。

盛岡競馬でデビュー後にJRAへ移籍。

当初は長い距離を使っていたが折り合いに難があり、5歳の春に去勢された。

その後秋になって距離を短くしてから本格化。

6歳時の中山記念で重賞初制覇。秋のマイルチャンピオンシップに勝利し、トウカイテイオー産駒初のG1馬となった。

その後は程なくしてケガで引退。騙馬なので種牡馬入りはできなかった。

現在の様子はTwitterで確認することができる。

Tweets by Toukaipoint1996

6位 プリモディーネ

1996年4月5日生 28歳

99 桜花賞

アフリート産駒。

99年の桜花賞を制覇。鞍上の福永祐一にとって初のG1勝利であった。

距離不安のオークスで3着の後は蹄の病気により長い休養に入る。

1年半後のエリザベス女王杯で復帰したが本来の姿からは程遠く、復活できないまま翌年引退した。

その後アメリカで繁殖入りしたが、子孫からこれといった活躍馬は出ていない。

5位 メイショウドトウ

1996年3月25日生 28歳

01 宝塚記念

ビッグストーン産駒の外国産馬。

テイエムオペラオーのライバルとして有名。

00年の宝塚記念記念から翌年の天皇賞(春)までG1で2着が5回あったが、勝ち馬は全てテイエムオペラオーだった。

その後の宝塚記念でついに雪辱を果たし、同年引退。

産駒にシンザン記念2着でダービーにコマを進めたシャインがいる。

他にオープン入りしたシゲルタックがいるが、種牡馬としては失敗であった。

4位 エアジハード

1995年4月9日生 29歳

99 安田記念

99 マイルチャンピオンシップ

サクラユタカオー産駒。

史上4頭目の春秋マイルG1制覇で名高い。

特に安田記念の勝利はグラスワンダーを負かしてのものであり、当時は大きな衝撃を与えた。

マイルチャンピオンシップ後は香港に遠征したがケガで出走することなく引退。

まだ日本産馬が海外G1に勝ったことが無かった時代だったが、日本での強さを見る限り好勝負になったのは間違いなく、悔やまれる故障であった。

種牡馬入り後はショウワモダンが安田記念を制し、親子制覇を達成した。

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