【30〜21位】存命のG1馬を調べてみた

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競馬

・2023年10月現在

・JRAの平地G1に限る

・外国馬は除外

・消息不明は除外

・同年生まれは誕生日で順位を設定

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30位 ダイワメジャー

2001年4月1日生 23歳

04 皐月賞

06 天皇賞・秋

06 マイルチャンピオンシップ

07 安田記念

07 マイルチャンピオンシップ

サンデーサイレンス産駒。

母は重賞4勝のスカーレットブーケ。全姉に新潟2歳ステークス勝ちのダイワルージュ、半妹にG1を4勝したダイワスカーレットがいる。

3歳時に皐月賞に勝利。勝鞍はダート未勝利のみでスプリングステークス3着の実績はあったものの、11番人気という人気薄での勝利であった。

秋以降は喉鳴りの影響で不振。手術を経て4歳以降は徐々に力をつけ、5歳と6歳でそれぞれG1を2勝し、JRA賞最優秀短距離に2年連続で選出された。

マイルから2000メートルを得意としたが、距離が長い有馬記念で2年連続3着に入るなど、距離の融通が利く馬であった。

引退後は種牡馬入りし、JRAG1馬を7頭輩出する大活躍。2023年現在も種付けを行っている。

29位 ヤマニンシュクル

2001年4月1日生 23歳

03 阪神ジュベナイルフィリーズ

トウカイテイオー産駒。

コスモス賞1着、札幌2歳ステークス3着を経て暮れの阪神ジュベナイルフィリーズに勝利。

3歳時は勝利こそなかったものの、桜花賞3着、オークス5着、秋華賞2着と安定した走りを見せた。

古馬になってからは5歳時に中山牝馬ステークスに勝利。

同年のエリザベス女王杯で、カワカミプリンセスの斜行の影響でバランスを崩した際に右前浅屈腱不全断裂を発症し引退。

繁殖入り後はこれといった産駒を輩出できないまま2020年に繁殖牝馬を引退した。

ちなみに現在のところ最後のヘロド直系のJRAのG1馬である。

28位 ザッツザプレンティ

2000年5月26日生 23歳

03 菊花賞

ダンスインザダーク産駒。

ラジオたんぱ杯2歳ステークスを制し春のクラシックでの活躍を期待されたが、弥生賞と皐月賞で掲示板に載れず。それでもダービーで3着に食い込み、秋の飛躍を予感させた。

神戸新聞杯をステップに菊花賞へ。リンカーンや2冠馬ネオユニヴァースを抑えて勝利を挙げた。

続くジャパンカップで2着に入るも暮れの有馬記念は大敗。

古馬になってからはG1でこれと言った活躍ができず、5歳の春の天皇賞10着を最後に引退した。

種牡馬入りしたが産駒は全く走らず。近親にバブルガムフェローがいる良血だが、後継を残すことはできなかった。

27位 ヘヴンリーロマンス

2000年3月5日生 23歳

05 天皇賞(秋)

サンデーサイレンス産駒。

2歳のデビュー戦で後に三冠馬となるスティルインラブの6着。

その後は時折重賞に顔を出すものの壁は厚く、初重賞制覇は4歳暮れの阪神牝馬ステークスであった。

5歳春は結果が出なかったが、クイーンステークス2着、札幌記念制覇と徐々に調子を上げていった。

札幌記念から天皇賞(秋)に直行。14番人気と低評価であったが、大混戦の中で内から抜け出しゼンノロブロイ以下を抑えて勝利。大金星を挙げた。

その後ジャパンカップと有馬記念に出走し引退した。

繁殖入り後はダートの活躍馬を多数生んだ。4番仔のアウォーディーがJBCクラシックを制覇。6番仔のラニはUAEダービーを勝利した。ラニはその後種牡馬入りし、初年度産駒のリメイクがG3カペラステークスを制している。その他には5番仔のアムールブリエがエンプレス杯を制した。

26位 ピースオブワールド

2000年2月18日生 23歳

02 阪神ジュベナイルフィリーズ

サンデーサイレンス産駒。

デビューから4連勝でG1ホースとなったが、その後は骨折もあり勝ち星をあげることはできなかった。

繁殖牝馬としてはオーストラリアの重賞ウイナーを輩出している。孫世代に期待。

25位 ウインクリューガー

2000年2月12日生 23歳

03 NHKマイルカップ

タイキシャトルにとって産駒の初重賞&G1勝利をプレゼントした孝行息子。

NHKマイルカップ後は何度か重賞で馬券に絡むも不振だった。

最後は障害入りを経て引退。

実はディープインパクトの近親だが、種牡馬成績は振るわず。

24位 ノーリーズン

1999年6月4日生 24歳

02 皐月賞

ブライアンズタイム産駒。

7分の2の抽選をくぐり抜けた皐月賞で15番人気ながら大駆け。

1番人気の菊花賞で開始早々落馬し、110億円分の馬券を一瞬で紙屑にしたことで有名。

その後はケガもあり不振で、種牡馬としても活躍できなかった。

23位 タニノギムレット

1999年5月4日生 24歳

02 東京優駿(日本ダービー)

ブライアンズタイム産駒。

重賞3連勝でクラシックの主役だったが、騎乗ミスもあり1番人気の皐月賞で3着。

次走のNHKマイルカップも圧倒的1番人気ながら不利があり3着と勝ち運に見放されていた。

続くダービーではシンボリクリスエスを差し切っての勝利でこれまでの鬱憤を晴らした。

その後屈腱炎を発症して引退、種牡馬入り。

初年度産駒からウオッカを送り出し、父娘ダービー制覇を果たした。

ウオッカを含めて13頭のJRA重賞ウイナーを輩出し、種牡馬としても成功を収めた。

22位 サニングデール

1999年4月1日生まれ 24歳

04 高松宮記念

ウォーニング産駒。

早い時期から短距離で頭角を現していたが、G1勝ちは5歳の高松宮記念まで待つこととなった。

引退後は貴重なインテント系の種牡馬として2021年まで細々と種牡馬生活を続けた。

中央ではこれといった産駒はおらず、地方の活躍馬を送り出すに留まった。

21位 ヒシミラクル

1999年3月31日生 24歳

02 菊花賞

03 天皇賞(春)

03 宝塚記念

サッカーボーイ産駒。

抽選を突破した菊花賞を10番人気で勝利。

このレースは2着に16番人気のファストタテヤマが突っ込み、先述のノーリーズンの落馬も含めて菊花賞史に残る大波乱となった。

その後勝てないレースが続くがメンバーが薄かった天皇賞(春)を勝利し復活を遂げる。

次走の宝塚記念はアグネスデジタル、シンボリクリスエス、タップダンスシチー、ダンツフレーム、ネオユニヴァース、ツルマルボーイなどを相手にしての勝利となった。

このレースはヒシミラクルおじさんと呼ばれる謎の人物が大口投票したことで有名。

その後はケガの影響で活躍できず。

種牡馬入りしたものの、長距離向きと見られたことと、やや時代遅れの血統が敬遠され、種付け数自体が少なく活躍できなかった。

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